蒲公英草紙―常野物語
恩田 陸
「やごって大きくなったらなんなるん?」
「え〜、」
自転車でさーっと私を追い抜いていった女の子たち。
中学生かな。あどけなさと女の顔をあわせもつ彼女たち。
聡子と峰子がこの時代に生き暮らしていたならこんな会話をしてたかもなぁと思うとすぅーっと思いが空にあがった。
私たちはどこにいくんだろう。
今、本当に幸せなのだろうか?
あの時求めた幸せって?
最後の問いかけに今「イエス」と言い切る自信が私にはない。
時代は繰り返す。何度も何度も繰り返してるはずなのになんでまた同じことを繰り返すんだろう・・・
昭和初期の東北のある村に住む峰子は病弱で学校に通えない槙村聡子の話相
手になる。槇村の家にはいろんな客人が訪ねて、そして住んでいる。西洋画家の椎名や仏師の永慶。そして春田家の人。
聡子を描く二人。椎名は内面を引き出し現在を描く。永慶は見守るように過去や未来を描く。どちらも素敵な男性。ふと、思った。夫はどっちだろう?
聡子に特殊な能力が見え隠れし、特殊な能力を持つ春田家が訪ねてくる。
彼らは旅の人々。一定の箇所にとどまらず生きていく。槇村家にはこの一族「常野」の人に助けられた恩があった。
明るく晴れ渡る青空とたんぽぽの世界に少しづつ雲が広がる。少しづつ少しづつ。ゆっくりと。
ちょうど実家の田植えの手伝いの合間を縫って読んでいたのであぜみちを通るたびに峰子や聡子のことを思い出しました。「あぜみち」って「畔道」って書くんですね。漢字がとてもかわいい。大きくてひろーい土地(田)を文字通り半分に分けるみたいで。畔道を走り回っていた私はよーく祖母に畔の大切さをとくとくとくと語られてました。意味がさっぱり分からなかった子供時代。
20代前半の私はまさしく新太郎さんだった。一本気で自分は絶対に正しかった。自分の良いと思うものはみんなに勧めたし悪いと思うものは許せなかった。自分の進む道に迷いがなかった。たぶん、私もお国のために死ねただろう。愛する誰かが居て欲しいと泣いて望んでも戦争に突き進んだと思う。自分の信じる道は他の人が信じる道だと信じてた。自分の言動が誰かを傷つけてるなんて考えもしなかった。人に平気で自慢したし愚痴ったし忙しいって平気で人を待たせて待ってられない人をばっさばっさと切り捨てられた。
自分中心に世界が回ってた。自己満足な優しさ。
今の私は迷いに迷ってる。
まっすぐな道を開けない。
傷つきやすくなった。臆病になった。
不安で今にも倒れそうで
けれどすこーし丸くなれた気がする。
人はひとりじゃない。
絶対に誰かの影響を受け、受けさせている。
たとえひとりで家の中にいたとしても。
無人島でも植物や動物に影響を受けるんじゃないかな。
常野の人の能力は特殊だけど特殊じゃない。
きっとみんな「しまえる」人なんじゃないかと思う。
いろんないろんなところを寄せ集めたのが私。
わたしはあなたなんだよ。たぶん。